スクリーンいっぱいに広がる
見慣れた景色

「オーバー・フェンス」「そこのみにて光輝く」「海炭市叙景」の函館3部作をはじめ、
多くの映画が観光地やさりげない街並みを、作品の中に取り入れています。
スクリーンによく知っている景色を見つけたとき、
ときめきにも似た胸の高鳴りと、ささやかな嬉しさを感じることでしょう。

今回はそんなご当地映画をピックアップ。
自分の住む、または誰かの住む町で起こる物語を、疑似体験してみてください。

現在上映中!『オーバー・フェンス』

孤高の作家、佐藤泰志の小説を映画化したラブストーリー。
『海炭市叙景』『そこのみにて光輝く』に続く「函館3部作」の最終章。



2016/9/17(土)~9/30(金)  ①10:30~12:25  ②15:00~16:55  ③19:30~21:25

2016/10/1(土)~10/7(金)  ①15:00~16:55  ②19:10~21:05

2016/10/8(土)~10/14(金)  ①12:30~14:25


これまで好きなように生きて来た白岩(オダギリジョー)は妻にも見放され、東京から生まれ故郷の函館に舞い戻る。
彼は実家に顔を見せることもなく、職業訓練校に通学しながら失業保険で生活していた。
ただ漫然と毎日を過ごしてしていた白岩は、仲間の代島(松田翔太)の誘いで入ったキャバクラで変わり者のホステス聡(蒼井優)と出会い……。

ピックアップ:『そこのみにて光輝く』

孤高の作家、佐藤泰志の小説を映画化。
『海炭市叙景』に続く「函館3部作」の第二章。



仕事を辞めて何もせずに生活していた達夫(綾野剛)は、パチンコ屋で気が荒いもののフレンドリーな青年、拓児(菅田将暉)と出会う。
拓児の住むバラックには、寝たきりの父親、かいがいしく世話をする母親、そして姉の千夏(池脇千鶴)がいた。
達夫と千夏は互いに思い合うようになり、ついに二人は結ばれる。ところがある日、達夫は千夏の衝撃的な事実を知り……。

ピックアップ:『海炭市叙景』

孤高の作家、佐藤泰志の小説を映画化。
『そこのみにて光輝く』『オーバー・フェンス』が後に続くことになる「函館3部作」の1作目。



北国の小さな町・海炭市の冬。造船所では大規模なリストラが行われ、職を失った颯太(竹原ピストル)は、
妹の帆波(谷村美月)と二人で初日の出を見るため山に登ることに……。
一方、家業のガス屋を継いだ晴夫(加瀬亮)は、事業がうまくいかず日々いら立ちを募らせていた。
そんな中、彼は息子の顔に殴られたようなアザを発見する。

コラム:孤高の作家・佐藤泰志と、函館三部作

5度芥川賞候補に挙がりながら、41歳で自ら命を絶った作家・佐藤泰志。
彼が書いた、故郷函館を舞台にした作品、「海炭市叙景」「そこのみにて光輝く」「オーバー・フェンス(「黄金の服」に収蔵)」。

村上春樹、中上健次らと並び評されながら、不遇に終わった彼でしたが、
2008年、函館のミニシアター・シネマアイリスの支配人の「海炭市叙景」を映画化したいという発案により、
函館の市民の皆さんの手によって企画され、冬の函館で撮影。
ついに2010年に公開を迎えました。経緯は公式HPにて公開中です
その後「そこのみにて光輝く」が映画化され、函館三部作の最終章である、
「オーバー・フェンス」がついに2016年9月17日からシネ・ギャラリーでも公開となりました。

端的でありながら、深い情緒を感じさせる彼の文章は、
端的であるがゆえに、読む人の心に強く響きます。
彼の作品に登場するごく普通の市井の人々は、この時代の生きにくさを如実にあらわしているようです。
「彼らは、あなたであり、私」、そんな謳い文句がしっくりと胸に収まる作品たちを生み出したのが、
佐藤泰志という作家でした。

2010年の「海炭市叙景」の映画化とともに彼の作品は再評価され、書店で平積みされているのをよく見かけます。
映画化前には彼の書籍を探すのも大変でしたが、いちファンとして嬉しいことだと感じています。

毎年何本か「ご当地映画」が作られ、当館でも公開されていますが、
これほどの熱狂を持った「ご当地映画」は珍しいように感じます。
現在公開中の『オーバー・フェンス』も、「観光地函館」ではないリアルな函館のごく普通の景色が、
スクリーン一杯に瑞々しく広がっています。
一瞬で終わる函館の夏。
どうか見逃すことのないよう、スクリーンでお楽しみいただければと思います。

海炭市叙景

『海炭市叙景』 (“福”支配人推薦!)

最近でこそ光栄なことに配給会社から公開作品へのコメントを求められることがありますが、
映画館に勤め始めてコメント依頼を受けた作品がこちら。
(今見返すと、何を洒落っ気付いたこと言っているんだと恥ずかしくなりますが…)

函館市を海炭市という架空の街、そこで描かれる「生きる意味」を見出そうとする人々の姿は、
ささやかな「希望」が感じられるもので、普遍的なテーマです。
だから、この映画公開時は全国各地のミニシアターからコメントを集めたのだと思います。

函館のミニシアター「シネマアイリス」の支配人でもある本作の製作実行委員長・菅原和博さんはすごい人です。
“福”支配人には到底真似できない映画人。
最近は行政・市民有志・企業など地方側が主体的に動いて「ご当地映画」が多く作られていますが、
ここまで高い完成度・クオリティと成功例はあまりないのでは?

(作品の中には「お金を出した人が口も出す」とばかりに、作家色が希薄で、
劇映画としての応援できないレベル、安易な観光スポット案内の域を出ない作品がいくつかありますし)

『そこのみにて光輝く』(2014年監督:呉美保)に続き、
いよいよ今年は「函館三部作」となる『オーバー・フェンス』(監督:山下敦弘)が
今年の9/17(土)当館にて公開します。

函館出身の作家・佐藤泰志の「変わりゆく街に生きる市井の人々」は共通テーマ、
だから希望も愛も哀しみも孤独も包まれています。
「函館三部作」最終章として、大きくオーバー・フェンスして(期待を越えて)ほしいです。

『海炭市叙景』  (2010年日本、監督: 熊切和嘉) 

ロスト・イン・トランスレーション

『ロスト・イン・トランスレーション』 (ウンノ推薦!)

ソフィア・コッポラは優れたビジュアルセンスを持っているので、監督作は「オシャレ映画」という側面ばかりを強調されがちです。
けれど、ソフィアのいちばんの資質は、ある種の「寂しさの感覚」にあるのではないかと思います。
彼女以外の一体だれが、自作に『翻訳の過程で失われてしまった言葉』というタイトルを付けるでしょうか。


夫が東京での仕事を謳歌している間ホテルで時間をつぶすしかない女性(スカーレット・ヨハンソン)と、サントリーのCM撮影で来日中の落ち目の俳優(ビル・マーレイ)。異国の地で所在なく日々を送る男女が出会い、しばし寄り添い、そしてそれぞれの人生に戻るまでの数日間。
ソフィア・コッポラが映し出す東京は二人を迎え入れるでも排斥するでもなく、だから彼らはその街に対して親しみも憎しみも持てず、ただ水槽の中のクラゲのように都市の内部を浮遊することしかできません。

寂しさの感覚。

「異国としての東京」での寂寥を感じるために、日本人であることはマイナスに働きません。結局のところ、通訳を介さなかったとしても、私たちが日々互いに伝えあう言葉は少しずつ失われているのだから。そうですよね?


失われた言葉は私たちの唇から水槽の浸透圧へと溶け出して、何事もなかったかのようにろ過装置に回収されて、だからソフィア・コッポラの東京はどこまでも透明で、水槽のガラス面には、いつもは映らないあなたの寂しさまでもが、二重映しに投影されてしまうのです。


『ロスト・イン・トランスレーション』  (2004年アメリカ、監督:ソフィア・コッポラ) 

ディストラクション・ベイビーズ

『ディストラクション・ベイビーズ』 (げ推薦!)

柳楽優弥さん演じる泰良が、菅田将暉さん演じる裕也と一緒に、手当たり次第喧嘩をふっかけて周囲の人間をぼこぼこにしていくストーリーなのですが、柳楽優弥さんがまるで野生の獣のような迫真の演技を見せ、人間ではない『何者か』を観ているようで素晴らしかったです。

舞台となっているのは、愛媛県松山市。
個人的に昨年訪れたので、大街道で泰良が暴れるシーンは、ここ知ってる!という興奮と、映画のストーリーの盛り上がりが一致して、さらに楽しめました。

熊本を舞台にした『アリエル王子と監視人』『うつくしい人』では、今年の大きな地震で壊れてしまった景色をもう一度スクリーンで見ることができ感慨深く拝見しました。
また、阪神淡路大震災の15年目で作られた『その街のこども』では、再生した街の姿、でも悲しみから抜け出せずにもがく人々の姿がスクリーンに映し出されました。

今は無き風景を、留めおいてくれるもの。
新しく生まれ変わった景色を、教えてくれるもの。
まだ知らない場所を、見つけ出すもの。

そして、自分の記憶と重ね合わせて、さらなる面白さや感動が湧き上がってくるもの。

ご当地映画にはそんな素敵な役割があると思います。

『ディストラクション・ベイビーズ』  (2015年日本、監督:真利子 哲也)