静岡シネ・ギャラリー

開催によせて

女優の渡辺美佐子が中心メンバーとなり、ベテラン女優たちと33年にもわたり続けてきた原爆朗読劇が今年2019年で幕を閉じます。静岡シネ・ギャラリーでは、この鎮魂の思いを込めて全国各地を回り公演を続けてきた女優たちのそれぞれの思いが語られる『誰がために憲法はある』を8/3(土)~公開します。 本公開に先立ち6/23(日)に井上淳一監督をお招きして、先行上映と舞台挨拶を行います。本作を通じて「日本国憲法とは何か?なぜできたか?」という原点を見つめなおすきっかけになればと願います。是非、ご来場ください。

INFORMATION

日時

2019/6/23(日)
13:30~開演
(13:00~開場)

ゲスト

井上淳一(映画監督)
※上映後、舞台挨拶 ※パンフレット購入者へのサイン会実施予定。

前売券

一般 前売 1,400円
シニア・学生 前売 1,200円
会員 前売一律 1,100円

当日券

一般 当日1,800円
シニア・学生当日1,300円
会員 当日通常料金1,400円
(シニア・学生会員 1,100円)
※招待券、無料鑑賞使用不可

注意
全席自由、定員制、途中入場・払い戻し・舞台挨拶のみの参加不可。
登壇ゲストは急遽変更となる場合があります、あらかじめ了承ください。

※映画『誰がために憲法はある』の本公開は8/3(土)~8/16(金)です。
※前売券は先行上映と本公開どちらでも使用できますが、それぞれ当日受付順の定員制です。

 

上映作品

誰がために憲法はある

渡辺は初恋の人を疎開先の広島の原爆で亡くしたことを戦後35年目の1980年になって知った。彼の死を知った渡辺は中心メンバーとなり、現在まで33年間、鎮魂の想いを込めてベテラン女優たちと原爆朗読劇の公演を続け全国各地を回っている。しかし、その朗読劇は今年で幕を閉じる。本作では渡辺をはじめ、女優たちがこの活動を通じて抱くそれぞれの思いを映し出す。
監督は『大地を受け継ぐ』(15)で原発事故により汚染された土地で農作物を作り続ける農家と、そこを訪れる学生たちの姿を真摯に見つめたドキュメンタリーを手掛けた井上淳一。同作でもタッグを組んだ弁護士の馬奈木厳太郎とともに、「憲法とは何か?なぜできたのか?」という原点を見つめ直すことができる作品を完成させた。子どもから大人まですべての人が日本国憲法について考えるきっかけを与えてくれる必見のドキュメンタリー!

さらに詳しく
ゲスト 監督 井上淳一

1965年愛知県生まれ。早稲田大学卒。85年、大学入学と同時に、若松孝二監督に師事し、若松プロ作品に助監督として参加。
90年、『パンツの穴・ムケそでムケないイチゴたち』で監督デビューするも、己の監督としての才能のなさに絶望し、荒井晴彦氏に師事。
脚本家となり、『くノ一忍法帖・柳生外伝』(98)『アジアの純真』(11)『あいときぼうのまち』(14)などの脚本を書く。
2013年、『戦争と一人の女』で監督再デビュー。慶州国際映画祭、トリノ国際映画祭ほか、数々の海外映画祭に招待される。
16年には、福島で苦悩しながら農業を続ける男性を追った『大地を受け継ぐ』でドキュメンタリーを監督した。
脚本家としての最新作は、1970年前後の若松プロの青春グラフィティー『止められるか、俺たちを』(2018/白石和彌監督)。

 

井上淳一監督より
『誰がために憲法はある』公開によせて

「映画を武器に世界と闘う」とは、我が師・若松孝二監督の言葉だが、いまの世の中の流れに対して、映画は何もしなくていいのかとずっと思ってきた。特定秘密保護法にマイナンバー、集団的自衛権に共謀罪、沖縄の民意は相変わらず無視されたままだし、原発は当然のように再稼働。秋の臨時国会でも、水道は民営化されるわ、外国人の人権を顧みないまま入管法は改正されるわ、もうやりたい放題である。そして、ついに憲法改正。2020年に新憲法を施行したいと安部政権は言う。現行憲法でもこれだけ好き放題やっているのに、憲法を変えられたらどうなるか。自民党の改憲案を見て、驚く。憲法とは本来、権力を持った者が好き勝手やらないように「国民が国を縛る」ものであるが、自民党の改憲案は「国が国民を縛る」ものであり、その先にあるのは、この国を再び戦争のできる国に戻そうという明確な意図である。

 そんな時に映画は何もしなくていいのか?
 映画を武器に闘わなくていいのか?
 スマホでも映画が撮れる現在、「世界と闘っている」ドキュメンタリーは数多ある。しかし、自分の作品も含めて、「届く人」にしか届いていないのではないか。映画とは、表現とは、本来、「届かない人」の価値観を揺さぶるものではないのか。

お笑い芸人・松元ヒロさんの『憲法くん』は、日本国憲法を擬人化し、ユーモラスに語ることで、届かない人に届けようと、その高い壁に果敢に挑んでいる。この憲法くんを、高名な役者さんに演じてもらい、映画にすれば、少しは世間に届くのではないか。

いままさに命尽きようとする憲法を体現できる高名で高齢の役者さんに。しかし、憲法前文を含む膨大な台詞を覚えなければならないという問題があった。だから、86歳の渡辺美佐子さんが「大変だけど、いいわよ、覚えるわよ」と言ってくれた時には、涙が出た。
渡辺さんとの共働作業の中で、初恋の人が、疎開先の広島の原爆で亡くなったと知った。その鎮魂の意味も込めて、もう33年も毎夏、原爆の朗読劇を続けられていることも。その朗読劇も出演者の高齢化から来年で終わる。これを撮らない手はない。  そうやって、出来上がったのが、この『誰がために憲法はある』だ。  憲法くんは言う。「わたしというのは、戦争が終わったあと、こんなに恐ろしくて悲しいことは、二度とあってはならない、という思いから生まれた、理想だったのではありませんか」と。  その理想がするりと掌からすべり落ちてしまいそうないま、表現にかかわる者の端くれとして、何もしなくていいのか。そういうやむにやまれぬ思いから、この映画を作った。元号が変わり、現行憲法最後の憲法記念日になるかもしれない日に、憲法に関する映画が一本も上映されていない国で、僕は映画に関わり続けることはできない。  もしかすると、この映画で語られていることは、戦後、何度も何度も語られてきた「同じ歌」かもしれない。しかし、戦争の記憶が薄れ、憲法にこめられた理想が忘れ去られつつあるいまこそ、同じ歌を何度でも、何度でも歌い続ける必要があるのではないだろうか。  憲法は誰のためにあるのか。憲法は誰のために生まれたのか。その「誰」には、生者のみならず、戦争の犠牲になった死者たちも含まれるはずだ。  いまはただ、ひとりでも多くの届かない「誰」に届くことを願うのみである。

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